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廃藩置県150年  藩が消えた日~四国の廃藩置県~

終了

2021/09/17 - 2021/11/29

明治4年(1871)7月14日、廃藩置県が断行され、藩は消滅。
この大計画の合意成立は、決行のわずか5日前だった!!
なぜ急展開で廃藩置県が断行されたのか?
また、四国の各藩は藩が消える日をどのように迎えたのか…
廃藩置県とその後の府県統廃合の歴史を、四国を舞台にして展開する企画展。
開催期間 2021/09/17 - 2021/11/29
観覧料 700円(常設展含む)(団体20名以上560円)
■高校生以下は無料
■高知城とのセット券/900円
*高知県・高知市長寿手帳所持者は無料
*身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳所持者と介護者(1名)は無料
●観覧券は当日のみ有効です。

展示概要

廃藩置県とその後の府県統廃合の歴史をふり返り、廃藩置県が実施された要因や、藩が消えた日前後の社会の変化についてご紹介します。
維新に貢献した高知、小藩分立の愛媛、稲田騒動などの混乱がありつつ、その後は一時高知に合併された徳島、県の消滅と復県を繰り返し、最後に復県した香川など、異なる歴史をあゆんだ四国各県を比較します。

 

展示構成

1廃藩置県と府県統廃合

2廃藩置県と高知

3廃藩置県と徳島

4廃藩置県と愛媛

5廃藩置県と香川

 

展示資料一覧【PDF】

廃藩置県Q&A(展示のみどころ)

Q:府・県の設立は廃藩置県よりも前?

:戊辰戦争の最中の慶応4年(1868)閏4月、「政体書」により府・藩・県が設置されます。
維新政府は、旧幕領や朝敵諸藩から没収した領地を直轄地の府・県とし、大名領をこの時公式に藩としました。
廃藩置県よりも3年前に県は設置されています。

Q:廃藩置県計画は薩長のみで極秘に進められた?

A:岩倉具視でさえも廃藩置県断行の2日前に計画を知らされ、狼狽したと大久保利通に手紙を書いています。
薩長の廃藩置県計画をこれらの資料とともに紹介します。

国指定重要文化財大久保利通関係資料(国立歴史民俗博物館所蔵)を会期中に計11件展示します。
会期中には展示替がありますので、出品されていない資料もあります。
 
国指定重要文化財 岩倉具視書簡 大久保利通宛 
国立歴史民俗博物館蔵
(9月17日~10月26日まで展示)


大久保利通が使用した金の懐中時計
国立歴史民俗博物館蔵
(9月17日~10月26日まで展示)

 

高知

Q:薩長土三藩提携から一転、薩長の廃藩置県計画からなぜ土佐は外された?

:高知藩の先進的な政策「人民平均の理」、この政策が米沢藩などに影響を与え、高知を中心とする有力諸藩連携が形成されます。
この有力諸藩の廃藩論などを薩長が警戒したことが一つの要因だと考えられています。
「人民平均の理」など関係資料を展示します。


高知藩建白人民平均之議
高知市立自由民権記念館蔵


伝西郷隆盛所用下駄
個人蔵 高知県立歴史民俗資料館保管

Q:薩長土肥の中で土佐(高知)のみ士族反乱が起きなかった理由は?

A:佐賀の乱で敗れた江藤新平の逃亡先は高知でした。
また、西南戦争時、鹿児島に呼応して挙兵するかもしれないと高知は注目を集めます。
佐賀の乱と西南戦争の関係資料とともに、自由民権運動の影響や旧藩主山内豊範の鎮静対応などから、その要因を探ります。
国指定重要文化財 三条実美書簡 大久保利通宛(追伸部分)
国立歴史民俗博物館蔵
(10月27日~11月29日まで展示)

 

徳島

Q:淡路島はなぜ徳島から分離して兵庫県に?

A:明治3年(1870)に起きた徳島藩士が淡路島の稲田家家臣を襲撃する稲田騒動が、大きく関係していると言われています。
稲田騒動関係資料などとともにその要因を紹介します。


御高礼之写(稲田騒動関係)
徳島県立文書館蔵


外景一覧図
徳島市立徳島城博物館蔵

 

愛媛

Q:小藩分立の伊予八藩の運命は?

A:廃藩置県によって伊予八藩はそのまま8県になります。
その後、府県統廃合によって4県ずつ統合し、宇和島県と松山県になります。
明治5年(1872)2月に松山県は石鐵県(石鐵山・石鎚山の山名が由来)に改称し、同年6月に宇和島県は神山県(出石山を神山と称しており山名が由来)に改称しました。
そして、 明治6年2月に両県が合併し、愛媛県(古事記の「伊予の国を愛比売といひ」が由来)が誕生しました。
各県名の由来に関する資料とともにご紹介します。


沖之島・姫島・鵜来島 三島全形絵図より 沖之島部分
愛媛県立図書館蔵


伊予道後温泉鳥瞰図
愛媛県歴史文化博物館蔵

 

香川

Q:独立置県運動に対する香川県民は一枚岩ではなかった?

A:二度の廃止で当時は愛媛県に合併されていた香川(明治9年(1876)に編入)ですが、明治15年頃から独立置県を望む運動が行われています。
しかし、愛媛県への残留を求める県民や、さらには徳島県への再合併(明治6年~8年まで)を求める声も挙がりました。
これらを関係資料とともにご紹介します。
最終的には、明治21年に独立置県が認められ、全国43県の中で香川県は最後の置県となりました。

独立置県旨趣要領
高松松平家歴史資料 香川県立ミュージアム保管

丸亀藩廃藩置県沙汰書
丸亀市立資料館蔵