城博コラム
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土佐史の人々-初期-

2019.11.27
  • 土佐史の人々
土佐史の人々-初期-
初期 湘南和尚 (しょうなんおしょう 不詳~1637)  山内一豊夫妻は天正13年(1585)年の大地震で一人娘の与祢(よね)を失い、その後男子を養子に迎え、拾(ひろい)と名付け養育した。 これが後の湘南和尚である。湘南は武士にはならず禅門に入り、土佐へは慶長6(1601)年入国し、吸江庵(ぎゅ

土佐史の人々-中期-

2019.11.27
  • 土佐史の人々
土佐史の人々-中期-
中期 法雲院 (ほううんいん 不詳~1678)  寛文8(1668)年2月、右大臣三条公富の娘法雲院は山内豊昌(とよまさ)(4代藩主)の継室として江戸へ輿入れした。 幕府は大名と公家(朝廷)との接近を嫌い、大名が京都に入る事を制限したが、上流公家である三条氏と縁戚関係が成立してか

土佐史の人々-後期-

2019.11.27
  • 土佐史の人々
土佐史の人々-後期-
後期 宮地太仲 (みやじたいちゅう 1769~1842)  安芸郡田野の芝生まれ。 父の文仲を継いで医を志し、大坂にでて医学を岡慈庵に、経書を篠崎小竹(儒学者、漢詩人)に学び、帰国後は藩の診療を度々勤めて徒士格二人扶持を受ける。 また、天保11(1840)年には土佐における最初の

土佐史の人々-幕末維新期-

2019.11.27
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土佐史の人々-幕末維新期-
幕末維新期 諒鏡院 (りょうきょういん 1841~1916)  土佐12代藩主山内豊資(とよすけ)の娘。 名を悦姫といい、生後まもなく出羽秋田藩10代藩主佐竹義厚(よしひろ)の嗣子義睦(よしちか)と婚約し、安政4(1857)年4月義睦のもとへ輿入れしたが、結婚後数ヶ月で夫義睦が死
おうちにある「古代塗」つかってみませんか?
高知の引き出物の定番「古代塗(こだいぬり)」。 ざらりとしたえび茶色の地に、朱色の文字や風景などのシンプルなもようのお盆や重箱。 「うちにもあったような。。。」と思う県民の方も多いのでは? 古代塗はその名に似合わず、明治時代に新しく生み出された漆器です。 漆器といえば、繊細で手入れのむず
<特別コラム>書を見るのが楽しくなる!体感!国宝こうやぎれ(書の解説)
当館所蔵の国宝「高野切(こうやぎれ)」。 これまでご来館の皆さんにいただいた質問を参考に、書の見かたをご紹介するページ「体感!国宝こうやぎれ」をご覧いただいて、ぜひ本物の鑑賞におこしください! 「上手だなあ…。」その次の一歩へ! 博物館や美術館で見かける「書」の作品。 「上手だなあ…
酔鯨酒造×高知城博 山内容堂コラボレーションのお酒が登場
鯨海酔侯―鯨の泳ぐ海(太平洋)の酔いどれ大名 「鯨海酔侯」はもともと幕末の土佐藩主山内容堂が用いた数多くある号のうちの一つです。酒好きで豪快、土佐人気質を思わせる容堂のイメージによく似合う号として、今も地元高知をはじめ多くの人々に親しまれています。 容堂の没後約100年を経た後、山内家と酔鯨酒造
【11/10~11/13は観覧無料】企画展「没後150年 山内容堂」を開催中です
15代土佐藩主山内豊信(号容堂)の没後150年を記念して、全国から集めた容堂ゆかりの品々や幕末維新を象徴する一級資料の約100点を、前期・後期の2期に分けて展示します。 【前期】「公武合体」実現に駈けた日々  会期:9/17(土)~10/30(日)    ※前期の中でも、さらに一部の資料を入

一豊と見性院

2019.10.16
  • 山内家の歴史
一豊と見性院
山内一豊の生涯 1.一豊の誕生と秀吉への士官  天文14(1545)年、一豊は山内盛豊の三男として尾張国に生まれました。  戦国乱世の真っ只中、兄と父を相次いで失い、永禄2(1559)年の春には、主君織田伊勢守家が織田信長の攻撃を受け滅亡、15歳の一豊は、浪々の旅に出ます。美濃・尾張・近江を転

自宅でジョーハクを楽しもう~おうちミュージアム~

2020.07.20
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自宅でジョーハクを楽しもう~おうちミュージアム~
自宅で過ごされている皆さんにお楽しみ頂けるコンテンツをご紹介します。 直接博物館を訪れることができない期間、少しでも役立てて頂けるとうれしいです。Twitterでは他にも様々なコンテンツや記事を随時投稿していますので、そちらもぜひご覧ください。公式twitterアカウント 目次