土佐藩の歴史-中期- 2019.11.27 土佐藩の歴史 中期の土佐藩 安定期に入った土佐藩は、法の整備を進めるとともに産業の育成にもつとめます。しかし大地震や数度にわたる火災・飢饉などの災害が相次ぎ、藩は財政難に陥ります。そこで倹約令等により打開策を模索しますが、中期の華美な風潮もあり状況の好転には至りませんでした。 主な事件 ・中 記事の続きをよむ
土佐藩の歴史-初期- 2019.11.27 土佐藩の歴史 初期の土佐藩 関ヶ原合戦の功で土佐一国を拝領した山内一豊の入国により始まった土佐藩は、軍役への対応や婚姻関係によって江戸幕府体制の中での安定した地位を模索します。同時に領内への施策もすすめ、野中兼山の改革などによって藩政の基礎を確立しました。 主な事件 ・一豊の入国と施策 一 記事の続きをよむ
土佐史の人々-幕末維新期- 2019.11.27 土佐史の人々 幕末維新期 諒鏡院 (りょうきょういん 1841~1916) 土佐12代藩主山内豊資(とよすけ)の娘。 名を悦姫といい、生後まもなく出羽秋田藩10代藩主佐竹義厚(よしひろ)の嗣子義睦(よしちか)と婚約し、安政4(1857)年4月義睦のもとへ輿入れしたが、結婚後数ヶ月で夫義睦が死 記事の続きをよむ
土佐史の人々-後期- 2019.11.27 土佐史の人々 後期 宮地太仲 (みやじたいちゅう 1769~1842) 安芸郡田野の芝生まれ。 父の文仲を継いで医を志し、大坂にでて医学を岡慈庵に、経書を篠崎小竹(儒学者、漢詩人)に学び、帰国後は藩の診療を度々勤めて徒士格二人扶持を受ける。 また、天保11(1840)年には土佐における最初の 記事の続きをよむ
土佐史の人々-中期- 2019.11.27 土佐史の人々 中期 法雲院 (ほううんいん 不詳~1678) 寛文8(1668)年2月、右大臣三条公富の娘法雲院は山内豊昌(とよまさ)(4代藩主)の継室として江戸へ輿入れした。 幕府は大名と公家(朝廷)との接近を嫌い、大名が京都に入る事を制限したが、上流公家である三条氏と縁戚関係が成立してか 記事の続きをよむ
土佐史の人々-初期- 2019.11.27 土佐史の人々 初期 湘南和尚 (しょうなんおしょう 不詳~1637) 山内一豊夫妻は天正13年(1585)年の大地震で一人娘の与祢(よね)を失い、その後男子を養子に迎え、拾(ひろい)と名付け養育した。 これが後の湘南和尚である。湘南は武士にはならず禅門に入り、土佐へは慶長6(1601)年入国し、吸江庵(ぎゅ 記事の続きをよむ
豆知識 2019.11.27 山内家の歴史 山内家の歴史について、知っていると展示を見るときに役立つ豆知識をご紹介します。 山内家の家紋 山内家には複数の家紋が存在します。明治44(1911)年に編纂が開始された『山内家史料』の編纂主任となった沼田頼輔(1867~1934)は、山内家に複数の家紋があることを知って家紋の研究を始め、後に大 記事の続きをよむ
山内家の由来 2019.03.09 山内家の歴史 山内家に伝わった系図や家譜類によると、土佐山内家は鎌倉の山内荘(やまのうちのしょう)からでた山内首藤(やまのうちすどう)氏の系譜につながるとい われています。その後山内首藤氏は各地に分散して、土佐山内家の先祖は室町時代に丹波国に移り、さらに久豊(一豊の祖父)の時代に尾張国へ移って、尾張山内氏の祖と 記事の続きをよむ
夏休み特別企画~涼し~い博物館で歴史体験を満喫! 2019.07.03 よもやま話 夏休みは特別企画が盛りだくさん!涼し~い博物館で、高知の歴史や文化を満喫しよう! https://youtu.be/9lCUjngNX8w 夏休みスペシャル企画① 自分だけの妖怪絵巻を作ってみよう! 妖怪をえがいた絵巻物(「異怪図(百鬼夜行絵巻)」)を参考に、自分だけの妖怪絵巻をつくっ 記事の続きをよむ
城博×高知みらい科学館×オーテピア高知図書館 記念スタンプラリー 2019.07.03 よもやま話 夏の企画展「星を見る人~日本と土佐の近世天文暦学~」の開催にあわせて、記念スタンプラリー企画を開催中。 高知城歴史博物館×高知みらい科学館×オーテピア高知図書館 Stargazer 星を追う人 スタンプラリー 開催期間 令和元年(2019) 9月2日(月)まで開催 ①3館のスタン 記事の続きをよむ