土佐史の人々-幕末維新期- 2019.11.27 土佐史の人々 幕末維新期 諒鏡院 (りょうきょういん 1841~1916) 土佐12代藩主山内豊資(とよすけ)の娘。 名を悦姫といい、生後まもなく出羽秋田藩10代藩主佐竹義厚(よしひろ)の嗣子義睦(よしちか)と婚約し、安政4(1857)年4月義睦のもとへ輿入れしたが、結婚後数ヶ月で夫義睦が死 記事の続きをよむ
一豊と見性院 2019.10.16 山内家の歴史 山内一豊の生涯 1.一豊の誕生と秀吉への士官 天文14(1545)年、一豊は山内盛豊の三男として尾張国に生まれました。 戦国乱世の真っ只中、兄と父を相次いで失い、永禄2(1559)年の春には、主君織田伊勢守家が織田信長の攻撃を受け滅亡、15歳の一豊は、浪々の旅に出ます。美濃・尾張・近江を転 記事の続きをよむ
自宅でジョーハクを楽しもう~おうちミュージアム~ 2020.07.20 収蔵資料のこと 土佐藩の歴史 山内家の歴史 土佐史の人々 土佐の文化 よもやま話 自宅で過ごされている皆さんにお楽しみ頂けるコンテンツをご紹介します。 直接博物館を訪れることができない期間、少しでも役立てて頂けるとうれしいです。Twitterでは他にも様々なコンテンツや記事を随時投稿していますので、そちらもぜひご覧ください。公式twitterアカウント 目次 記事の続きをよむ
山内家の由来 2019.03.09 山内家の歴史 山内家に伝わった系図や家譜類によると、土佐山内家は鎌倉の山内荘(やまのうちのしょう)からでた山内首藤(やまのうちすどう)氏の系譜につながるとい われています。その後山内首藤氏は各地に分散して、土佐山内家の先祖は室町時代に丹波国に移り、さらに久豊(一豊の祖父)の時代に尾張国へ移って、尾張山内氏の祖と 記事の続きをよむ
おうちで料理教室 土佐の食文化~年越しの煮物「鯨のすき焼き」編~ 2021.12.19 土佐の文化 よもやま話 企画展「おいしい土佐藩」関連企画 おうちで料理教室 土佐の食文化~年越しの煮物「鯨のすき焼き」編~ 目次:はじめに/講師紹介/材料/作り方/おまけ はじめに 2020年春の開催予定から延期になった企画展「おいしい土佐藩」。 当初の計画では、関連行事として「土佐の食文化」のタイトルでの講 記事の続きをよむ
土佐史の人々-初期- 2019.11.27 土佐史の人々 初期 湘南和尚 (しょうなんおしょう 不詳~1637) 山内一豊夫妻は天正13年(1585)年の大地震で一人娘の与祢(よね)を失い、その後男子を養子に迎え、拾(ひろい)と名付け養育した。 これが後の湘南和尚である。湘南は武士にはならず禅門に入り、土佐へは慶長6(1601)年入国し、吸江庵(ぎゅ 記事の続きをよむ
土佐史の人々-中期- 2019.11.27 土佐史の人々 中期 法雲院 (ほううんいん 不詳~1678) 寛文8(1668)年2月、右大臣三条公富の娘法雲院は山内豊昌(とよまさ)(4代藩主)の継室として江戸へ輿入れした。 幕府は大名と公家(朝廷)との接近を嫌い、大名が京都に入る事を制限したが、上流公家である三条氏と縁戚関係が成立してか 記事の続きをよむ
土佐史の人々-後期- 2019.11.27 土佐史の人々 後期 宮地太仲 (みやじたいちゅう 1769~1842) 安芸郡田野の芝生まれ。 父の文仲を継いで医を志し、大坂にでて医学を岡慈庵に、経書を篠崎小竹(儒学者、漢詩人)に学び、帰国後は藩の診療を度々勤めて徒士格二人扶持を受ける。 また、天保11(1840)年には土佐における最初の 記事の続きをよむ
豆知識 2019.11.27 山内家の歴史 山内家の歴史について、知っていると展示を見るときに役立つ豆知識をご紹介します。 山内家の家紋 山内家には複数の家紋が存在します。明治44(1911)年に編纂が開始された『山内家史料』の編纂主任となった沼田頼輔(1867~1934)は、山内家に複数の家紋があることを知って家紋の研究を始め、後に大 記事の続きをよむ
ジョーハク 刀剣 強化月間 第2弾 南海太郎 2021.07.13 よもやま話 ===【お知らせ】(8/20)== 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、8月21日(土)~9月3日(金)の間、臨時休館いたします。 9月4日(土)から再開館予定ですが、今後の状況によっては休館期間が延長される場合があります。 ご来館を楽しみにして頂いていた皆さまには大変申し訳ありませんが、何 記事の続きをよむ